掛川大祭 2009年10月11日


11:55撮影
メールの履歴等を見ると、12時過ぎに現地入りを計画していたようだが、何を勘違いしたか1時間程早めに現地入り。まったく事情がわからないが、取り敢えずは町中をうろついて見ることにした。概ね祭は休憩中といった感じだったが、一部の屋台はお囃子を行っていた。写真の松尾町は彫刻も多用され豪華な感じ。屋根に載っている人形は藤娘のようだ。だが、いわゆる江戸型山車に載る山車人形よりは小ぶりに見える。2輪屋台の特性を生かし、停止状態にもかかわらず前後に揺さぶっていた。

11:57撮影
このように、車輪は非常に大きい。おそらく、1.5m以上はありそう(まあ、町内によって大きさに差はあるのだろうが・・・)。2輪なので停止中は、補助輪や折り畳み式の足で屋台を支えるようだ。

12:00撮影(裏絵 12:01撮影)
弥生町の屋台には、2006年の大河ドラマでお馴染みの「一豊と千代」が載っている。2006年といえば前回の大祭の年だ。大河ドラマに合わせて制作されたのか?制作は、岩槻の川崎人形らしい(たまたまホームページを見ていて気がついた)。
※:マウスポインタを写真に合わせると人形の拡大写真が表示されます。

12:01撮影
城北町の屋台には、デフォルメされたミニチュアのお城が載せられている。シャチホコが目立つ。このように、掛川では人形だけが載せられるわけではなく、さまざまな飾り物が載せられるようだ。
※:マウスポインタを写真に合わせるとお城部分の拡大写真が表示されます。

13:12撮影
しばし飲食店を物色したが営業している店が少ない。当然の如く営業している店は行列が・・・。コンビニ弁当(ビール付き)で昼食を済ませた後、三大余興の「奴道中」を発見。地元ではお馴染みなのだろうが、関東の人間には珍しく感じる。

13:23撮影
この頃になると、そこら中に屋台が。数台が連なって巡行しているので、後をついていく。町内によっては、三味線がお囃子に加わるようだ。後で考えると、三味線の音が大きい。スピーカーを使っていたのか?

13:36撮影
屋台巡行についていくと、途中で数台の屋台が停車しているので、そっちの方に行く。屋台は、こんな感じで停車中だった。

13:38撮影
いたー。仁藤町の大獅子。どうやら、巡行前のセレモニー的なことを行っていたようだ。それにしても”でかい”。地元や近隣?の祭通はよく御存じのようで、結構な人込みになっており、大獅子にあまり近づくことはできず。

13:42撮影
やはり近場の正面から撮影したいので先回りを試みることにした。1本手前の橋から巡行の様子を撮影。

13:57撮影
大獅子巡行は、掛川城方面から駅方面に向かうだろうと勝手に考えていたが、一行にやってこない。掛川城の天守。最近復興されたものらしい。

14:01撮影
掛川城の方からお祭り広場方面を望む。お祭り広場では、各町内の余興が行われているのだろうか?

14:15撮影
仁藤町の大獅子を含む三大余興はパンフレットに巡行図が載っていた。入手しているのに、ろくに確認していないので気がつかなかった。やっと、大獅子を発見。想像とは反対の方面に行っていたようだ。なお、この写真の撮影時点では巡行は休憩中だったようだ。

14:27撮影
やがて巡行が再開。大獅子に続いて屋台群(何台だったか?)が次々に巡行する。

14:30撮影
大獅子以外にも獅子頭が・・・。
これは、中獅子・小獅子?。

14:56撮影
時と場面によっては、2輪の特性を生かして前後左右に大きく揺さぶりながら運行される。確か、十九首(じゅうくしょ)の屋台がお祭り広場に向かう時の様子。

15:10撮影
緑町の屋台。掛川城のミニチュアが載せられている。
※:マウスポインタを写真に合わせると掛川城部分の拡大写真が表示されます。

15:12撮影
中町の屋台は、朝顔のついた鉾が載る。上鉾の部分が上下できる構造なのかは?

15:12撮影
屋台同士がすれ違う時には、一端お囃子を停止し、すれ違いが終わった後には、ハイテンポのお囃子が披露される。どうやら徹花(てっか)囃子というらしい。

16:26撮影
お祭り広場入りする連雀町。余興を披露する周辺は人垣ができており、ろくに見ることはできなかった。

17:08〜17:10撮影
紺屋町の天幕は、猩々緋に唐獅子と牡丹の刺繍を施した物。嘉永六年(1853年)の制作。今でも鮮やかな緋色を保つ。
嘉永六年と墨書された収納箱を見せていただきました。
※:神社に向かって右側面→前面→左側面に順に写真が切り替わります。

トップへ お祭見聞録へ 掛川大祭へ ページの先頭へ


inserted by FC2 system