見どころ・聴きどころ(複数日)

■全12ヶ町叩き合い・地囃子合せ
行われる確率 全12ヶ町叩き合い:100% 地囃子合せ:90%
 あえて説明するまでもないと思いますが・・・。全12ヶ町の叩き合いは、祭期間中、日に一回以上行われ、地囃子合せは、叩き合いに置き換わる形、叩き合いを一度止めた後の再開時等に行われます。地囃子合せが始まってから、行われなかった年があったような記憶があったので、90%としました。行われる場所と大体の時間(2017年時点での最新情報)を以下に示します。
・7月20日
 18:50 ティアラ前
 19:25 熊谷駅前
・7月21日
 13:50 石原郵便局近辺
 14:20 市役所入口交差点
 15:40 東京ガス前
 19:45 カッパ寿司前(埼玉りそな銀行前)
 20:15 八木橋前
 20:40 鎌倉町広場
・7月22日
 20:00 市役所入口交差点
 20:30〜21:30
       お祭り広場
※:上記の時間は、あくまでも目安です。その年により、行われなかったり、時間が前後したりするので、ご注意下さい。
 初叩き合い(熊谷駅前)の前段で行われるティアラ前の全町叩き合い。2005年より行われるようになった。時間的にせわしいこともあり、今までティアラ前を見ずに熊谷駅前で待ち構えていたが、2012年に始めて見物。写真のように熊谷駅側からの見物になったため、銀座方面の状況はよくわからず。最も、奥の方に行くと抜け出しづらくなり、続く初叩き合いの位置取りが難しくなりそうだ。2012年撮影。
初叩き合い(熊谷駅前)。熊谷駅前に一列に並ぶ。但し、年によって、駅を背に並ぶか、駅に向かって並ぶかは不明。事前にリサーチしとかないと山車・屋台の後姿しか見れないかも。駅に向かって並ぶと、後の風景が祭にふさわしくないので、駅を背に並んでもらいたい。2007年撮影。
※:近年では、駅舎を背に並ぶのが恒例となっているようです。
  まあ、駅に向かって並ぶと山車・屋台の後の景色
  が悪いので、今後も駅舎を背に並んでほしいものです。
  巡行祭中の石原郵便局近辺での叩き合い(全町並び終わる前)。最後に巡行する本石区または、石原区が到着した頃には、年番町が動きだすぐらいに叩き合いの時間が短い。なお、結構な時間を本石、石原地区で過ごすが、山車の鉾が上げられることはない。2005年撮影。
※:2012年は、石原歩道橋前で全町叩き合いとなり、山車は
  鉾・人形を上げました。また、籠原本町の特別参加により
  巡行祭の一環として行われる全町叩き合いは、13台での
  叩き合いとなりました。
 市役所入口交差点での叩き合い。写真は、2005年のもの、2006年以降は行われていなかったが、2011年は、全町が扇形に並んだ。稀には、行宮前で全町が揃う場合もあり。
 東京ガス前での叩き合い。写真は、2007年。2006年は、並びながら徐々に合わせていく地囃子合せとなった。見事にお囃子が合い、感動の一言!!  かっぱ寿司前。9町での叩き合いが行われていたが、2016年より櫻町区・本石区・石原区が加わり、12ヵ町の叩き合いとなった。
2017年撮影。
 八木橋前に並んだ山車・屋台。21日夜の部も、まさにクライマックス。扇型に並ぶので、全町を均一に見渡すことができる。実は、最も見応えのある全町叩き合いなのかもしれない。2008年撮影。  八木橋前から鎌倉町広場に移動しての全町叩き合い。口の字型に並ぶので、口の字の中に入らないと、山車・屋台の後姿しか見れない。うまく入れれば山車・屋台を間近に見れて物凄い迫力。また、大音量のため、他人との会話は不可能。2008年撮影。
※:ここでは、山車の鉾は上げられません。
 最終日(22日)の市役所入口交差点叩き合い。石原区の後について行ったら、こんな写真しか撮れませんでした。2006年撮影。  お祭り広場、4ヵ町側(南側)にいたので、4ヵ町だけはなんとかまともに写った。やはり中央まで入らないとだめか!なお、お囃子が一時中断する直前に離脱。2008年撮影。

■町内巡行
行われる確率:全町100%(但し、確かめたわけではない)
 少しじみな話ですが、あえて町内巡行について話したいと思います。町内巡行は、各町区が主に20日昼と22日昼に行います。町区によっては、午前中にも行われるようです。この、町内巡行中に隣接した町区と出会った時に行われるのが、叩き合いの原点だと思います。別のコーナーでも紹介しましたが、子供に引き綱を持たせながら、町内巡行につきあうのも、うちわ祭の一つの楽しみ方だと思います(熱中症には要注意)。さて、なぜ町内巡行を紹介したかと言うと・・・。数年前のことですが、本石区の屋台を見つけたので、なんとなくついていくと、家の中から寝たきりのお婆さんを抱えた人がでてきました。もちろん、地元の屋台を見せるためです。この一件から、町内巡行とは祭を見にこれない人に祭を見せるためにもあるんだなぁと考えるようになりました。まあ、これができるのも、曲がりくねった狭い道でもたいした苦労もせず巡行できる熊谷式三輪ならではですね。
巡行中の本石区。2007年撮影。

巡行中の伊勢町区。2007年撮影。

■踏切越え
行われる確率:荒川区100%、伊勢町区100%、
鎌倉区いまのところ100%、彌生町区いまのところ100%、櫻町区25%

※:2012年/2014年に特別参加の籠原本町は、2012年に踏切越えを行ったため、今のところ、50%です。
 踏切越えは、線路の南側に町内がある荒川区、伊勢町区には、宿命と言ってもいいものです。うちわ祭の大きなイベントは、線路の北側で行われるので、踏切越えは必須となります。ほとんどは、鎌倉町通りから続く上熊谷駅横の踏切で行われます。今のところ、すべての高崎線がここを通る(秩父線も通る)ため、JR社員の方と打ち合わせ、タイミングをはかり一気に渡ります。屋台(今ある山車は、高さから通れない)は、自動車のようにショックアブソーバーなどついていないため、かなりの振動と共に踏切を渡ります。上熊谷駅横の踏切は、高低差も結構あるため、かなりの迫力と緊張を要する場面です。なお、伊勢町は、石原区入りする時に乙女町踏切を渡り、線路の南側への帰還時には他の踏切を渡ることがあります。鎌倉区・彌生町区は、荒川区周辺の叩き合いのため、いまのところ100%踏切を渡ります。櫻町区は、伊勢町区入りのため稀に踏切を渡ることがあります(櫻町区は、伊勢町区が4ヵ町当番町の時に、伊勢町区入りするようなので、4年に1回で25%としました)。
※:2017年は、JRとの申し合わせにより、基本的に無人状態(鉦を抑える人のみ山車・屋台に載る。当然お囃子も停止。)で踏切越えを行うことになりました。残念ながら、今後も無人・お囃子停止が継続するようです。
2018年も無人・お囃子停止でした。
 南側に踏切を渡る鎌倉区の屋台。緊張の一瞬。JRの社員の方も何人か様子を見守る。踏切越えの振動のためか片方の提燈が破れてしまったらしい(ただの提燈の老朽化の可能性もある)。 2004年撮影。
 踏切を南側に渡る彌生町区の屋台。ちょっと前までは、7月20日もに渡っていたような気がするが、最近は、20日に渡ることは少なく、21日の巡行祭前だけに渡ることが多いようだ。2005年撮影。  私の知る限りでは、最も踏切越えの多い伊勢町区、上熊谷横以外の踏切も渡る。多分、踏切越えをしないのは、22日の昼間ぐらいか?2007年撮影。
 新造された荒川区山車の初踏切越え。電車を待つこともなく、とっとと渡ってしまったので、後からの写真。なんと、踏切を渡るための高さ調整のため、上鉾の擬宝珠が外されている。なお、擬宝珠を外した事により、アンダーパス越えも可能なのではとの声もちらほら。2012年撮影。

 2012年の巡行祭に特別参加した籠原本町(越え終わったところ)。運ばれてきたところが線路の南側(市民体育館付近)だったため、踏切越えが必要になった。なお、籠原地区の踏切越えを行っているかどうか管理人はしらない。2012年撮影。
■鎌倉町通り周辺
行われる確率:場所の紹介ですので確率はなしです。
 鎌倉町通りの周辺は、祭期間中、多くの山車・屋台が行き交い、大小さまざまな叩き合いも行われます。前述の踏切越えも鎌倉町通りの延長線ですし、巡行祭前にも山車・屋台が整列したりします(年によっては、屋台だけの場合あり)。とにかく、鎌倉町通り周辺は、見せ場が多いのです。20日昼、22日昼など山車・屋台が中々見つからなかったら、鎌倉町通り周辺をフラフラして見て下さい。
 鎌倉町通りを巡行する鎌倉区。祭期間中は、多くの山車・屋台が行き交う。2005年撮影。  巡行祭前の整列のため、星川通りから鎌倉町通りに向かう、第貳本町区。2005年撮影。
 両方とも鎌倉町広場(星川通りと鎌倉町通りが交差する所、鎌倉区の定位置)での叩き合い(22日夜)。21日夜には、八木橋前から全町が鎌倉町通りを移動し、この広場で全町叩き合いが行われる。左は、2007年撮影。右は、2005年撮影。

■銀座区変身
行われる確率:いまのところ100%
 銀座区では、ある事情?(詳しいことはわかりませんが・・・)により、お囃子会が二つあります。事情はさて置いて・・・。夜になると祇園会にお囃子が変わる場面があります。お囃子を絶やさないように徐々に入れ代わるようです。完全に入れ代わった後はうちわ祭通には御存じの通りです(この変身ぶりは、まさに大魔神状態)。昼間のニットーモール前でも入れ代わっているようですが、ここでは、入れ代わっているのが気がつかないぐらいに普通にお囃子をします。写真がなさそうなので掲載する気はなかったのですが、よくよく見るとそれなりの写真があったので載せました。
※:どんな感じに変身するのかは、『参加町区紹介の銀座区』を参照して下さい。
 左の写真では、鳳鸞お囃子会が演奏しているが、祇園会が徐々に乗り変わろうとしている。よく見えないが、右の写真では、完全に祇園会が乗っている。どうも、夜の叩き合い前に乗り変わるらしい?但し、初叩き合いの時は乗り変わらなかった気がする。2005年撮影。
 ニットーモール前。締め太鼓は、既に祇園会の女性のようだ。筑波区がやってくるころには、完全に祇園会。但し、記憶によれば、激しいお囃子は演奏されなかった?2007撮影。

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