熊谷うちわ祭 2009年(番外編)

 ここでは、今年のうちわ祭見物の中で気がついたことや、ちょっとしたネタ的な写真を集めてみましたので「番外編」として紹介します。なお、比較用として、過去の写真を多数使用しているため、写真の順序は時系列という訳ではありません。
 前述の通り、2009年版のちょっとしたネタコーナーとして作成する気でいましたが、なんとなく、ここ数年のネタのような位置付けになってしまったようです。
 ※:登場しない町区もあります。ただ、ネタが見つからなかっただけですので、ご了承下さい。
獅子頭が飾られたり、巡行祭では、高張以外の提燈類が外されたりと昨年との違いが見られた石原区だが、他にも2箇所違いを発見。まずは、締太鼓が変更されている。どうやら、四丁掛け(数字が大きくなる程、皮が厚くなり、胴部分が長くなるそうです。)に変更されたようだ。また、懸魚下の提燈も「石原區」から他の屋根下の提燈と同じ物に変更されていた。
※:マウスポインタを写真に合わせると2008年に撮影した写真が表示されます。
一方、荒川区は、五丁掛けから数字の少ない方の締太鼓に変更されたようだ。
※:マウスポインタを写真に合わせると熊谷祇園会50周年記念祭(2009年5月31日)の時に撮影した写真が表示されます。
伊勢町区は、高張提燈の文字が江戸文字から行書体?に変更されていた。このような字体は、銀座区でも使用されている。
なお、”伊勢”とのみ書かれた提燈が使われていた時期もあったような気がする。
※:マウスポインタを写真に合わせると2008年に撮影した写真が表示されます。
彌生町区は、白抜き文字と普通の高張提燈を使い分ける。夜は、普通の提燈を使用しているようだが、昼間は、20日、22日に白抜き文字の提燈が21日は普通の提燈が使用されていた。2008年の写真を確認したところ、提燈の使われ方は同じだった。全町行事の時は普通の提燈が使われるということなのだろうか?
※:20日→21日→22日の順に写真が切り替わります。
鎌倉区は、2006年に高張提燈の文字が”鎌倉區”から”鎌倉”に変更された。また、大胴は、2005年より模様(三つ巴紋)付きになった。
他の町区についても、高張提燈の文字は、結構変わっているのかもしれない。
※:2004年→2005年→2009年の順に写真が切り替わります。
第二本石区は、2006年より祭に参加するようになったのだと思う。参加当時は、お囃子道具が取り付けられていなかったが、2007年にはお囃子道具が取り付けられた。今年は、提燈に灯がともり(気がつかなかっただけで、既に、灯がともるようになっていたのかも)。賽銭箱まで取り付けられた。
※:2006年→2007年→2009年の順に写真が切り替わります。
第二荒川区の懸魚。町内の有志の方が彫ったのだろうか?
※:マウスポインタを写真に合わせると後側の写真が表示されます。
第二櫻町区は、今年から祭に参加。但し、鬼板や懸魚は取り付けられておらず、まだ、完成途上のようだ。まあ、桜を基調とした幕のため、どこの町区かは一目瞭然。なお、見た目は、中部地方の曳き物っぽい。
今後も第二○○区が祭に参加して行くのだろう。
※:実は、第二伊勢町区がリアカーを台車として制作を開始したようだ。なんでも江戸型山車とか。来年の祭には参加しているかも?
銀座区は、「八幡大菩薩」の幟旗を立てたり、立てなかったりする。ただの気まぐれではないのだろうが、何を基準にしているのか外部から見ているだけでは、まったくわからない。
※:マウスポインタを写真に合わせると熊谷祇園会50周年記念祭(2009年5月31日)の時に撮影した写真が表示されます。この時は、立てられています。
さて、コミュニティ広場前の叩き合いの一枚だが、第壱本町区の人形の上の方に注目していただきたい。ちょっと光っているような気がしませんか?
なんと、神武天皇の持つ弓にとまっている鳶の目にはLEDが仕込まれており光るようになっている。過去の写真も確認してみたが、光っているかどうか?だった。
第貳本町区の迎え囃子を聴きつつ神輿を待っている間の退屈しのぎに失礼して鉾の内部を撮影。鉾・人形上下装置である”おだまき”の内部構造は見た目こんな感じ。最も、管理人には、実際どんな構造なのかさっぱりわからない。
続いても第貳本町区。本当は、上鉾・人形を上げるところを連続写真で撮りたかったのだが、21日夕刻は降雨のため、上鉾・人形は上げられず。22日に、お祭り広場で発見した時には、ちょうど上げ終わった所だった。なので、そのまま彌生町区との叩き合いを見物し、何とか下げる所を撮影。

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