うちわ祭の特徴

 うちわ祭には、他の祭ではあまり例の見られない特徴があります。熊谷ッ子は、「ちんどん屋じゃねーんだから、鉦ってもんは、30cm以上あるんがあたりめーだんべ。」とか、「山車、屋台ってーのは、三輪で人が運転するもんだんべ。ガキのころは、あんまり動きがはえーんで、エンジンがついてるかと思ってたよ。」(実際、私は、山車の後にある発電機をエンジンと思っていた。)なんてことが常識かもしれませんが・・・。(いい加減な熊谷弁ですいません。熊谷を離れて長いのでかなり怪しいです。)最近、色々な祭を見物するようになって気がついたのですが、実は、うちわ祭では当たり前の事が、他の祭ではあり得ない事だったりするのです。つまり、熊谷(うちわ祭)の常識は、世間(他の祭)の非常識だったりするわけです。このコーナーでは、他の祭と比較しながら、熊谷では当たり前と思われているうちわ祭の特徴を紹介したいと思います。

■大音量を叩き出す大きな摺鉦
 うちわ祭で演奏される熊谷囃子は、群馬県旧尾島町(現太田市)世良田地区で開催される世良田祇園まつりで演奏される世良田祇園囃子(さんてこ囃子)が源流と言われています。尺二(一尺二寸)とか尺三(一尺三寸)とかの大きな摺鉦を、現在では3個〜5個使用します。石原区などは、7個をぶら下げた時期もあったそうです(いったい、どこにぶら下げたのか??)。何といっても、巨大な摺鉦を多数使用し、風向きによっては、数キロ先にも響きわたる熊谷囃子が、うちわ祭最大の特徴と言ってもいいでしょう。とにかく、うちわ祭好きにとっては、素晴らしいの一言であり、うちわ祭にあまり興味のない人にとっては、迷惑極まりないもの?と言えるかもしれません(この音に対する苦情も度々あるらしいです)。祭関係者の話だと、鉦の出来にも差があり、最もいい音が出るものを、一番鉦(一番前に吊るす鉦)とするそうです。特に、第貳本町区の一番鉦の音色は素晴らしいものがあります。近年割れてしまったそうですが、無事修理できたとのことでなによりです。
※1:世良田祇園まつりの関係者の情報によると、世良田に、お囃子を演奏する人はなく、伊勢崎・深谷方面の囃子方が
   演奏していたそうで、一般的にさんてこ囃子と呼ばれるお囃子は、伊勢崎周辺が発祥らしいとのことです。
※2:熊谷近辺では、深谷・行田でも大きな摺鉦が使用されています。
 第貳本町区巡行中。一番鉦の音が素晴らしい。  石原区の一番鉦には色々文字が刻まれている。

 では、他のお祭では、どうなのでしょうか?? 熊谷以外では、こんな感じです。
 川越まつり。掌サイズの鉦を手に持って鳴らす。このパターンが最も多く、江戸囃子系でなくても、このサイズが多い。当然、音は小さく、お囃子のアクセント的に使用されている感じ。秩父夜祭等の秩父系祭でも、こんな感じの鉦が使用される。  本庄まつり。この山車は、大きめな鉦を吊るしているが、町内によって大きさはまちまちで、吊るす場所も右だったり、左だったりする。なぜか、後向きで鳴らしている。これも、町内によって違う。但し、鉦の数は一個で統一されている。
 こだま秋まつり。中型?の鉦が複数使用される。さんてこ系のお囃子なので、熊谷人には、なじみやすい。群馬県の沼田や渋川あたりのお囃子と似ているようだ。山車・屋台は、全体的に大きく、秩父並の物もある。  よりい秋まつり。地元では、神田囃子と言っているらしいが、熊谷出身の私にはさんてこ系のお囃子に聞こえる。鉦は、小さめな物が一個だが、手に持つのではなく、吊るされて使用される。曳き物(山車?屋台?鉾?)は、まさに寄居型としか言いようがない。
 さんてこ系のお囃子では、熊谷ほどではなくても、概ね大きめな鉦を使用しますが、今までの経験上から言うと、大体、どこの祭でも(お囃子の違いこそあれ・・・)掌サイズの鉦を手に持って鳴らすのが一般的なようです。他の地方でも概ね小型の鉦が使用されていると思われますが、桑名では、熊谷より大きい鉦が使用され、姉妹都市の関係から行田の一部の町内に導入されているようです。所によっては、大きい鉦が使用されているのでしょう。

■熊谷ならではの運転手付き可動式三輪
 前述の通り、熊谷の山車・屋台は、運転手付きの可動式三輪であり、熊谷では常識となっています。三輪の山車・屋台は少ないですが、可動式の車輪は各所で見られます。但し、固定式(方向転換出来ない)の車輪がどうやら一般的なようで、本来、方向転換できない山車・屋台をどうやって取り廻すのかが祭の見せ場となっているのです。逆に熊谷では高い機動力(運動性能)による素早い取り廻し・狭い所にも並べられる等が見せ場の一つと言ってもいいでしょう。なお、わりと小さめの可動式三輪の山車・屋台は、自分の知る限りでは、深谷・寄居・行田・越生(旧鎌倉区の山車)・鬼石・吹上(旧伊勢町区→櫻町区の屋台)で見ることができます。
 停車中の鎌倉区の屋台。停車中、前輪は、山車・屋台と直角に曲げられる。  蓮沼自動車前での4ヵ町叩き合い。こんな感じに短時間で並べられるのも熊谷ならでは(道は、2台並べるのがやっと)。
 巡行中の荒川区(先代屋台)。この後、上熊谷駅方面に曲がる。  八木橋裏の5町叩き合い。この狭い所に5台並べるのは、まさに神業。本石区と仲町区の屋根が重なり合っている所に注目。
※:マウスポインタを写真に合わせると屋根部分の拡大写真が表示されます。
 方向転換中の石原区。舵取りの人は、運転席から降りてハンドル?操作中。  叩き合いの場所(八木橋前)に到着した彌生町区。これから、方向転換するところ。

 では、また他の祭を見ていきます。
 秩父夜祭。秩父地方の屋台・笠鉾は、頑丈な板車の四輪であるため、ギリ廻しという方法を使う。簡単に言うと角材を突っ込み梃子の原理で屋台を持ち上げ、中心に心棒をあてがい旋回する。屋台が倒れるのではないかと思い、結構恐い。また、車輪には、ベアリングがないため、食用油等を潤滑剤とする。ものすごい軋み音がする。
 本庄まつり。前輪の小さい四輪の可動式。一台だけ、四輪固定もある。熊谷のように、するどい角度で曲がることはできないが、祭の性格上(スピードはあまり要求されない)まったく問題にならない。  青梅大祭。写真は、三輪だが四輪もある。いずれも可動式だが、本庄同様するどい角度で曲がることはできない。随所でひっかわせ、居囃子との競演が行われるため、回り舞台と併用される。
 久喜の提燈祭り。昼間は、人形の上下しない人形山車。四輪固定であり、とんぼ(と呼ぶらしい)の部分にかじりついた若衆が強引に山車を取り廻す。竹とかを使用して滑らしたりもする。夜は、提燈山車に変身。但し、強引な取り廻しは同じ。提燈は、すべて蝋燭で昼から夜の間に組み替えられる。久喜は、駅周辺の道路がボロボロになりやすく道路特定財源が必須のようだ。
※:久喜の提燈祭りは、7月12日、18日に行われますが、12日では、半数の山車が昼間も提燈山車として運行されます。
  なお、提燈山車として運行中は、山車人形・彫刻等が会所に飾られています。

■発展(進化)しつづける祭
 うちわ祭は、常に発展(進化)しつづけています。熊谷の土地柄(新しいもの好き?)なのかもしれませんが、新しい企画が次々と考え出され実行されます。前年とは必ず何かが違っているため、事前に情報収集をしておかないと肝心な場面を見逃すはめになりかねません。2007年以降、何とGPSによる山車・屋台の位置確認システムまで導入されています。
 熊谷駅前での初叩き合いの様子。7月20日が海の日(今では、ハッピーマンデーなので何日になるかわからないが、7月20日に戻そうとする動きもあるらしい。)になった事から企画されたと考えられる。初めて行われた年は、9町の参加だったが、現在では全12ヶ町が参加している。  地囃子合せも近年考案されたもの。2006年巡行祭最終地点(東京ガス前)で行われた時の写真。見事揃った時は感動の一言!!お囃子が揃わずに叩き合いになってしまうこともあり。
 20日に行われる4ヵ町叩き合い。2006年は、サティ近辺に集合したので、2007年もサティに向かったが、何と、櫻町区方面に集合したため、影も形もなし。お祭仲間は、GPSにより補足し、無事、櫻町での集合場面を見物できたとのこと。毎年同じとは限らないので油断は禁物。どうやら、4ヵ町内での当番町があり、まずは当番町に屋台が集まるようだ。但し、本石区・石原区は、高すぎて踏切越えが出来ないため、伊勢町が当番町の時は、櫻町区のみが伊勢町入りするようだ。当然、当番は4年に1回なので、櫻町区の踏切越えも4年に1回(1往復)という計算になる。
※:サティは、イオンに店名が変更されました。
 荒川区アンダーパス越え(潜り)。2005年より始まった。アンダーパス越えとは、お祭り広場からつながる線路との立体交差を潜って線路の反対側に渡ること。立体交差の完成に伴い新たに企画された行事。2009年伊勢町区もアンダーパス越え(潜り)を行ったため、、線路南側2町内のアンダーパス越え(潜り)が恒例になりそうだ。そのうち、アンダーパスの最深部での叩き合いが行われるかも?
※:アンダーパス越え(潜り)は、『見どころ・聴きどころ』でも紹介します。2012年からは、荒川区の山車新造に伴い、伊勢町区単独でのアンダーパス越えが行われていましたが、2014年は実施されず、今後も実施されることはなさそうです。

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