拝島加美町お披露目 2014年8月24日

 5月に行われたあきしま郷土芸能まつりで、拝島加美町は、屋台修復中のため居囃子のみでの参加となりました。約三カ月後、屋台・屋台人形の修復が無事完了。地元の施設で、お披露目が行われました。拝島の屋台は、人形を載せた盛留め(人形台座)を一本柱により後方から立ち上げる形式で、東京都の多摩地方、埼玉県南西部に多く見られ、一般的には、八王子型の山車(屋台)と呼ばれているようです。構造上から一本柱を立てずに曳き廻しをせざるを得ないため、別の形状に改造されたり、部品が老朽化等で残っていなかったりしており、実際に一本柱を立ち上げられる山車(屋台)は、多くはないようです。但し、加美町には、和唐内の人形の頭や手足、盛留めの部材等が残っていたらしく、今回の修復により、よみがえりました。拝島では、志茂町が既に(2002年)に修復を完了しており、今回の加美町の修復で2台の屋台が制作当時の姿となった訳です。なお、奈賀町でも修復が計画されているようですので、数年後には、あきしま郷土芸能まつりで加美・奈賀・志茂3町の完全形での曳き廻しが行われそうです。

11:10〜11:13撮影
某筋から得た情報では、11時頃から人形の立ち上げを行うとのことだったが、お披露目場所の啓明学園駐車場に定刻通りに到着すると、立ち上げどころか、屋台すら影も形も見えず。ちょうどバスで到着したお祭仲間と途方に暮れている?と、やはり見学に来たらしい方の案内で無事に加美町の屋台小屋に到着。到着した頃に、ちょうど扉が開き加美町屋台のお出まし。提燈や御拝幕などは付いているが、殆ど飾りつけはされていない。適当に写真撮影しながら動きを待つことに。
屋台前面→一本柱を立てる部分→鬼板・懸魚の順に写真が切り替わります。

11:48撮影(裏絵 11:51撮影)
待つこと暫し(かなり?)、加美町の屋台が屋台小屋より引き出され、注目の一本柱も運び出された。
※:マウスポインタを写真に合わせると、一本柱が運び出される様子が表示されます。

11:54撮影
加美町の屋台は、一般道を慎重に動かしながら、啓明学園の駐車場へ向かった。

12:03撮影
ちょうど昼時にお披露目場所の啓明学園の駐車場に到着。この後の展開が読めないため、昼飯休憩も取れず。確か、結局は、昼飯抜きだった?

12:13撮影
盛留めの上に載る岩座が到着。岩座には、虎がおとなしくなっているような様子。回りには、虎には付き物の笹も施されていた。こういったものが、間近に見られるのも、お披露目&一本柱型の特徴だろう。

12:24撮影
修復された和唐内は、なんと軽トラに載って登場。これまた、お披露目ならではの光景。

12:27撮影
和唐内も専用の台?(キャスター付き)に載せられたまま岩座の前に安置された。

12:34撮影
続いては、盛留めの台座部分?。所謂、江戸型の山車では、三味線胴と呼ばれる部分だが・・・。何と呼んでいいのかわからないが、このような部位を間近で見る機会は滅多にないことだけは確かだ。

12:45〜12:48撮影
せっかくなので、和唐内を色々と撮影。
拡大→頭部分をさらに拡大→刀の付近→大神宮の札を持った右手付近→岩座等を含めた全体像の順に写真が切り替わります。

12:52〜12:56撮影
いよいよ人形立てが始まった。まずは、一本柱に台座が取り付けられた。

13:32撮影
続いて、岩座と和唐内の人形もドッキング。

13:34〜13:35撮影
すべての準備が整い人形立て開始。思っていたより、あっさりと人形は立ち上がった。
人形立ての様子を撮影した何枚かの写真が切り替わります。

13:37撮影(裏絵 13:38撮影)
無事人形が立って、加美町屋台本来の姿がよみがえった。どうやら、和唐内が大神宮の護符の力で虎を手なづける(退治する)場面らしい。なお、写真を見た限り、この時点では、まだ屋台の飾りつけ中だったようだ。
※:マウスポインタを写真に合わせると、高々と上がった和唐内の写真が表示されます。

14:16撮影
屋台の飾りつけが終わった後、式典が行われ、お囃子も披露された。蛸の踊りはなかったが・・・。

14:37撮影
すべての行事が終り、屋台はこのまま飾り置かれるようだ。集まった祭仲間もいつのまにか居なくなっているので、こちらも帰宅。

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